今日のこのステージを見せてもらえたことで、心から納得した気がする。コンサートはアンコールも含めてあっという間の三時間だった。会場のお客さんの満足そうな顔を見ながら待っている。「いや、すごかったな」杉野マネージャーがやや興奮した口調で言う。千奈津は頬を真っ赤に染めて「これから、COLORメンバーに会えるんだよね」と興奮していた。ドクドクドク。釣り合う二人じゃないのにどうしてドキドキするのだろう。赤ちゃんのことを知った大くんは、どんな気持ちだったかな。今日は、はなのしおりを返してもらえるだろうか。「お待たせしました」ぼんやりと考えていた頭に声が降ってくる。スタッフさんが迎えに来たようだ。「では、ご案内いたします」立ち上がって後ろを着いて行くと、たくさんのスタッフが慌ただしく動き回っていた。一歩ずつ歩いて行くと、その中でも賑わっているお部屋がある。「こちらに、いらっしゃいます。マネージャーを呼んできますのでお待ちください」頭を下げて立ち去ったスタッフさんを見送ると、千奈津が肩をポンポンと叩いてくる。「ヤバイ」完全に仕事だってこと、忘れているみたいだ……。「甘藤様お連れしました」スタッフさんが言うと、池村マネージャーが軽く笑顔を向けて近づいてきた。「お久しぶりです」挨拶をしてくれる。杉野マネージャーと私と千奈津が頭を下げると、事務所の方が来て挨拶してくれた。声が聞こえてビクッとなる。その声のほうを見ると大くんがいた。COLORのメンバーもいる。大くんは、スタッフさんや来客に笑顔を向けながら話している。ライブを終えたばかりなのに、対応しなきゃいけないんだ。大変そう。杉野マネージャーに名前を呼ばれて慌てて笑顔を作る。「いい、コンサートだったよな? おい、初瀬」「は、はい」ビクッとして思わず大きめの声で返事をしてしまった。……視線を感じる。大くんがこっちを見た。慌てて目線を下げる。ドドドドドド……。心臓が痛いほど鼓動を打つ。近づいてくる足音に手のひらは汗でびしょびしょだ。「お久しぶりです。甘藤の皆さん来てくださったんですね」さわやかな声が耳を撫でる。大くんのピッカピカの笑顔を間近に見て逃げ出したくなった。杉野マネージャーが挨拶を終えると、千奈津も頭を下げる。「その節はありがとうございました」ビジネス
「もう、すっごく素敵でした」千奈津が言うと赤坂さんがにっこりと笑って対応してくれた。気をよくした千奈津はどんどん話しかける。「杉野マネージャー? おお! お久しぶりですね」男性が話しかけている。偶然過去に仕事にお世話になった人らしく、話が盛り上がっている様子だ。そんな中で突き刺すような視線を感じ、その方向を見ると大くんと目が合った。その場から動けなくなったみたいに、私の体は硬直する。まるで金縛りのような感じだ。ゆっくりと近づいてくる大くん。一体、何をしようとしているのかな。胸が締め付けられるように痛くなり、泣きそうになった瞬間――手首をつかまれて廊下へと連れて行かれた。歩く速度が速くてあっという間に人が少ないところへ連れて行かれる。ところが、遠くからはスタッフ達の声が聞こえるほどの距離だ。壁にドンと背中を押しつけられる。「会いたかった」声を震わせながら言われ、その声に胸がわしづかみにされたような衝撃が走った。「美羽、疑ってごめんな。……子供のこと……。やっぱり、美羽は産もうとしてくれてたんだな」「……真里奈から聞いたんだね」「ああ。もっともっと美羽といろいろ話がしたい。今日は打ち上げがあって遅くなるかもしれないから、明日にでも電話をする。だから着信拒否、解除してくれないか?」「でも、大くんと話をしたら……過去を思い出して気持ちが溢れてしまうかもしれない」「それでいい。俺は美羽を」紫藤さーん、と探している声が聞こえる。私は咄嗟に隠れようとしたが、大くんは顔をぐっと近づけてきた。「着信拒否解除してくれないなら、今ここでバラしちゃうよ? 俺らの過去を。たくさん、スタッフがいるしいい機会だし」そんなの、いきなり過ぎて心の整理がつかない。本気で言っているのだろうか?昔から大くんはちょっぴり意地悪で強引なことを言ってくることがあった。ぼんやりしている私にはそこが魅力的に感じる部分でもあるのだけど。「さあ、どうする? あと数秒で見つかっちゃうよ?」私の顎のラインを親指で優しく撫でて、艶やかな微笑みを向けてくる。それだけのことなのに、心臓が激しく乱れるのだ。「美羽。過去を思い出して怖いのは同じだよ。でも、俺は美羽といろいろと語りたいんだ」真剣に言ってくれるその言葉が、胸にじんわりと広がっていく。過去に怯えていてはいけない。勇
「どこ行ってたの? 探したのよ」千奈津に心配されて私は嘘をついた。「ごめん、お手洗いに」杉野マネージャーは、疑わしげな目で私を見ている。が、あえて何も言われない。「じゃあ、挨拶も終わったし帰ろうか」「夢のような時間だったなぁー。本当に素晴らしいねCOLORって」千奈津は心からの感嘆の声を上げていた。そう言えば……、社長から頼まれていたことがあった。バッグから色紙と油性ペンを出す。社長からのお願いだし忘れたことにできない。「杉野マネージャー、社長から頼まれていたサインどうしましょう」「言いづらいけど、初瀬から頼んでみたら? 紫藤大樹さんに」意地悪。そう思ったけど、口には出さずに言葉を飲み込んで大くんに近づいていく。大くんはスポーツドリンクを飲んでいた。近づいていくスーツ姿の私は、明らかに浮いていて目立つ。「あの、私どもの社長のお孫さんが紫藤さんのファンでして……もしよければサインをしていただけますか?」「ええ、もちろん」言ってペンを受け取る瞬間、指が触れて落としてしまった。たったそれだけなのに身体にじわりと汗をかいてしまう。そこに池村マネージャーが来る。「サインや写真は遠慮していただきたいのですが」冷ややかな口調で言われ怖気づく。「いいじゃない。スポンサーの社長さんのお願いだよ?」大くんはさり気なくかばってくれる。「しかし」そこに杉野マネージャーが近づいてきた。「ご無理を言って申し訳ありません」場を和ませてくれた。大くんは「一枚だけですよ」と笑顔で言ってスラスラっとサインを書いて、渡してくれる。優しすぎると感動していると、池村マネージャーは不機嫌な顔をした。明らかにマネージャーの顔じゃなく、女の……嫉妬に満ちたような表情にびっくりした。――池村マネージャーも、大くんを……男性として見ているのかもしれない。「ありがとうございました。失礼します」一礼をして顔を上げると大くんは、にこっとしてくれた。本当に電話をくれるだろうか……。大くん、またね。私たちは頭を下げて出て行った。
杉野マネージャーと千奈津と三人で会場を出ると、風が冷たい。コートを前に引っ張り震えながら駅を目指して歩いた。家に着いてシャワーを浴び終えると二十三時を過ぎている。大くんとの約束通り着信拒否を解除した。なんだか落ち着かない。もしかしたら、電話を掛けてくるのではないかとハラハラしてしまい、携帯を見つめてしまう。気を紛らわそうとテレビを見たり、本を読んだりするけどドキドキして息苦しい。もう、二十九歳になった大人な女なのに……いつまでも過去の恋にとらわれるなんて、情けない。今なら、大くんと大人な恋愛をすることはできるのだろうか。ベッドに横になってウトウトしていると、スマホがブーブーと音を立てた。ビクッとして画面を確認すると「紫藤大樹」の文字が浮かんでいる。本当に……かけてきた。出なきゃ。手が震えてうまく画面をタッチできない。「あ、切れちゃった……」なんとなく寂しい気持ちになって小さなため息をついた。すぐにかかってきた。今度は気持ちを落ち着かせて出る。「もしもし」『美羽? ごめん。寝てた?』「……ウトウトしてたけど、大丈夫」心臓がバフバフ言っている。『ごめん。やっぱりどうしても今日中に連絡したくて。ねぇ、今日はなんの日か覚えてる?』十一月三日――。付き合いはじめた日。『忘れちゃったかな。付き合いはじめた日だよ』「覚えてるよ。まさか、大くんが覚えていてくれるなんて思わなかったから、驚いちゃった」『そんな大事な日に再会できたってことは、俺らはやっぱり、切っても切れない糸で結ばれているんじゃないかな』頭を過るのは、新入社員だった頃の会話だ。
『ねえ、果物言葉って、知ってる?』『くだものことば? 知らないです』『誕生花や花言葉みたいなものよ。果物言葉は、時期や外観のイメージ・味・性質をもとに作ったものでね。果物屋の仲間達が作ったんだって』調べた日は十一月三日。誕生果はりんごで相思相愛と書かれていた。今でも大くんは私のこと思ってくれているのだろうか。『美羽。会いたい』「……………」切羽詰まったような大くんの声に、今すぐ会いたいと私の心も震え出す。『美羽の家にお邪魔しちゃ駄目かな』「い、今から?」『もう十二時過ぎちゃうし夜中だから、美羽が出てくるのは危ないし。美羽に会いたい。お願い』家を教えてしまうと過去のように、何度も訪ねてくるのではないだろうか。ズルズルとした付き合いをしてしまって、結婚もできないで人生を終えていくのかもしれない。「ショートメッセージで送るね」『ありがとう。タクシーで向かう』電話が切れた。結局人生のリスクよりも、大くんに会えることを選んでしまったのだ。両親がこのことを知ったら、ものすごく怒るだろうな。そして、悲しませてしまうかもしれない。親孝行ができない娘でごめんなさい。Vネックのセーターとジーンズに着替えて髪をとかす。軽くリップを塗って鏡を見つめると、今にも泣きそうな顔をしていた。怖い。これから、どんなことが起きるのか。想像もできなくて物凄く恐ろしい。でも、もう逃げないでちゃんと話したい。嘘をつかないで素直にすべてを打ち明けようと思う。チャイムが鳴った。さっと壁時計を確認すると深夜一時を迎えようとしている。「はい」『俺』「どうぞ」オートロックを解除した。深く息を吸い込んでドアの前に立っていると、足音が聞こえてきてピタッと止まった。チャイムが鳴るまでに間があってふたたび鳴ったからドアを開けると、大くんが立っている。サングラスをかけてキャップを深くかぶったスタイルだった。玄関の中に入るとサングラスを外して、射貫かれるようにじっと見つめられる。「ただいま、美羽」昔と同じように言って笑顔をくれた。「鍵、かけるよ」ガチャ。鍵のかかる音がやたらと大きく感じたのは、私の心の問題なのだろうか。いよいよ、二人きりの空間がはじまる。今日は仕事ではなく、プライベートだ。「お邪魔するね」大くんは遠慮しないでどんどん入ってくる。背
「怖がらないで美羽。嫌なことはしないから。座っていい?」「ど、どうぞ」緊張しながらコーヒーを出した。ソファー座っている大くんの目の前にテーブルを挟んで腰を降ろす。何を話せばいいのだろうか。大くんは何を伝えたくてわざわざこんな深夜に訪ねてきたのかな。二人を包み込む空気は張り詰めていて重い。大くんが動き出したから、警戒して見ていると、バッグの中から何かを大事そうに出してテーブルに置いた。なんだろうと思って見ると、花のしおり。「はな……」久しぶりに「はな」に会えた気がして熱いものが込み上げてくる。思わず抱きしめた。「ごめんな…………」切ない声でつぶやいた大くんのお詫びの言葉には、色んな意味が込められているように聞こえる。子供の形見だと知っての謝罪。もう、私を愛せないとのお詫び。そんな風に聞こえたのは気のせいじゃないよね。今日、来てくれたからって期待をしては駄目なんだよね。「美羽と会うことができたら何から話せばいいんだろうって、ずっと考えてたんだ」すごく優しい声で言葉を紡いでいる大くんを、そっと見る。「真里奈さんに偶然会って、いろいろと事実を知ったよ。子供は堕ろしたんじゃないんだな。……産もうとしてくれてたんだってね」もう真実を知ってしまっている大くんに、隠すことは何もない。「うん……。大くんのこと、大好きだったから……どうしても、産みたかったの」クスっと切なげに笑われる。「過去形?」現在進行形と言ったところで、私と大くんの関係は変わるのだろうか。「事務所に送ってきた手紙には偽りはないの?」「あれは社長さんに、書けと言われたの。大くんの将来を台無しにするなと言われて……」言いづらいけどすべて言ってしまった。大くんの成功のため身を引こうと過去に決意したのに、いいのかなと迷いはあった。「社長らしいな」「実家に社長さんと、COLORのメンバーが実家に来て、赤ちゃんを産まないようにお願いされたの」「そっか。じゃあ、二人にも会ったことがあったんだね」うんとうなずいた。「才能の芽を私が潰してしまうなんてことできなかった。大くんが才能に溢れているのは、近くにいて痛いほどわかっていたから……。何度も会いに行こうって思ったけど、離れることを選んだの。憎まれ役でいいって決意したの」鼻を啜って涙を流すまいと耐えつつ、話を続ける
「どうして、迎えに来てくれなかったの? もしも……大くんが来てくれたら駆け落ちするくらい覚悟はできていたんだよ」今更、責めてはいけないことなのだろうけど、思いが溢れてしまって聞かずにはいられなかった。大くんは眉の間に皺を寄せて、小さなため息をついた。「やっぱり、聞かされてなかったんだな。行ったよ。美羽のアパートに行ったら誰も住んでいなくて、実家に行ったんだ。でも、美羽は出掛けていてお母さんが対応してくれたんだ。美羽のお母さんは……堕ろしたと俺に言った。その時はいろいろと頭の中も混乱していて……裏切られたと思った。どうして美羽を信じ抜いてあげられなかったんだろう。愚かだった。ごめん」まさか、大くんが実家に来ていたなんて知らなかった。お母さんは大くんと私を近づけたくなかったのだろう。あの状況だったから、お母さんの気持ちはわかるけど、せめて家に来てくれたことを知りたかった。そうすればもっと心を軽くして、生きていけたかもしれない。「大くんは……あの時、本気で赤ちゃんを産んで欲しかった?」「当たり前だろ。俺と大好きな女の子供だったんだから」「そう。それを聞いてはなも喜んでいると思うよ。パパとママに愛されてたんだって自信を持ってくれたかな」立ち上がってベッドルームの方へ向かった私は「はなのお供えコーナーがあるの」と言って大くんを手招きした。はなのしおりを定位置に置くと、私は手を合わせる。ふと視線を感じて振り返ると、大くんは今にも泣きそうな切ない表情で私を見ていた。「……こうやってずっと……、手を合わせてたのか?」「うん。生まれていたらもう、十歳。きっといい子に育って可愛い子だったんだろうな。一緒に料理したり買い物をしたり。十歳なら、お洒落にも興味を持ちはじめるだろうから、ファッション誌を一緒に読んだりして、あーだこーだ話してさ。はなに、会いたかったな……」この世の中にいないし、きっとはなはどこかで新たな生を受けて生まれ変わっている気がしたけど、絶対に忘れられない。いつも生まれていたらって想像してしまう。「会えない間、辛い思いをさせてごめんな。本当にごめんなさい。許してほしい。一生かけて償うから」「そんな、謝らないで。お互い様だよ。大くんだって辛かったんだよね? もう、過去のことだから……ね。気にしないで」そう。過去のことなんだからお互いに
「美羽」「ん?」真剣に見つめられるから、動揺してしまう。どうしてそんなに熱を帯びた目で見てくるの……?「もう一度、俺の彼女になってもらえませんか?」「え」唐突な告白に驚いて目を丸くしてしまう。もしも……傷つけた過去の償いで付き合おうと考えるなら、やめてほしい。もっと深いところで傷ついてしまいそうだから。「美羽」あまりにも切ない声で名前を呼ばれるから、甘くて切ない感情が心に広がった。「何言ってるの? だって熱愛報道が出ているじゃない。モデルさんだっけ? 美男美女カップルでお似合いだと思うけど」ギロッと睨んでくる大くんから、怒りの気配が感じられる。図星だったから言葉に詰まっているのだろうか。「美羽は俺のこともう好きじゃないの?」「十年も前の話……だよ」過去をずっと引きずったままだったけれどあえて強がってみせる。久しぶりに会って過去を鮮明に思い出し、大くんは一時的な感情で告白してきたのかもしれない。ライブの後で打ち上げもあって精神状態が普通じゃないのかもしれない。きっと酔っ払っているんだ。「酔った勢いで言わないでよ。びっくりしちゃうじゃない」リビングの明かりが差し込んでいる寝室。薄暗い部屋にベッドと男女が二人。このまま流れでそういう関係になるのは嫌。私はリビングに戻ってカーペットに座った。ゆっくりと追いかけてきた大くんは、私の目の前に来てしゃがんだ。そして、手をぎゅっとつかんで大くんの左胸に手のひらを添えられた。ドクン、ドクンと激しく動いている鼓動がわかる。昔よりも逞しくなっている胸板に触れた手のひらは、だんだんと熱くなって汗をかいてしまう。「本気なんだけど。めちゃくちゃ心臓が暴れてるのわかるだろ?」五十センチほどの近い距離で視線を合わせられると、私の思考は正しく動かなくなる。テレビでよく見ている綺麗な顔が目の前にあって、頭の中が整理できない。私が大くんを好きとか嫌いとかの感情で分類する前に、芸能人としてのオーラがありすぎてめまいを起こしそうになる。「芸能人……が、いる」やっと絞り出せた言葉は、意味不明だった。「は?」
「じゃあ、まず成人」赤坂は、名前を呼ばれると一瞬考え込んだような表情をしたが、すぐに口を開いた。「……俺は、作詞作曲……やりたい」「そう。いいわね。元COLORプロデュースのアイドルなんて作ったら世の中の人が喜んでくれるかもしれないわ」社長は優しい顔をして聞いていた。「リュウジは?」社長に言われてぼんやりと天井を見上げた。しばらく逡巡してからのんびりとした口調で言う。「まだ具体的にイメージできてないけど、テレビで話をするとか好きだからそういう仕そういう仕事ができたら」「いいじゃないかしら」最後に全員の視線がこちらを向いた。「大は?」みんなの話を聞いて俺にできることは何なんだろうと考えていた。音楽も好きだけど興味があることといえば演技の世界だ。「俳優……かな」「今のあなたにピッタリね。新しい仕事も決まったと聞いたわよ」「どんな仕事?」 赤坂が興味ある気に質問してきた。「映画監督兼俳優の仕事。しかもで新人の俳優を起用するようで面接もやってほしいと言われたみたいなのよ」社長が質問に答えると赤坂は感心したように頷く。「たしかに、いいと思うな。ぴったりな仕事だ」「あなたたちも将来が見えてきたわね。私としては事務所に引き続き残ってもらって一緒に仕事をしたいと思っているわ」これからの自分たちのことを社長は真剣に考えてくれていると伝わってきた。ずっと私から彼女は俺らのことを思ってくれている。芸能生活を長く続けてやっと感謝することができたのだ。今こうして仕事を続けていなかったら俺は愛する人を守れなかったかもしれない。でも美羽には過去に嫌な思いをさせてしまった。紆余曲折あったけれどこれからの未来は幸せいっぱいに過ごしていきたいと決意している。でも俺たちが解散してしまったらファンはどんな思いをするのだろう。そこの部分が引っかかって前向きに決断できないのだ。
それは覚悟していたことだけど、実際に言葉にされると本当にいいのかと迷ってしまう。たとえ俺たちが全員結婚してしまったとしても、音楽やパフォーマンスを楽しみにしてくれているファンもいるのではないか。解散してしまうと『これからも永遠に応援する』と言ってくれていた人たちのことを裏切るのではないかと胸の中にモヤモヤしたものが溜まってきた。「……そうかもしれないな。いずれ十分なパフォーマンスもできなくなってくるだろうし、それなら花があるうちに解散というのも一つの道かもしれない」赤坂が冷静な口調で言った。俺の意見を聞きたそうに全員の視線が注がれる。「俺たちが結婚してもパフォーマンスを楽しみにしてくれている人がいるんじゃないかって……裏切るような気持ちになった。でも今赤坂の話を聞いて、十分なパフォーマンスがいずれはできなくなるとも思って……」会議室がまた静まり返った。こんなにも重たい空気になってしまうなんて、辛い。まるでお葬式みたいだ。 解散の話になると無言が流れるだろうとは覚悟していたが、予想以上に嫌な空気だった。芸能人は夢を与える仕事だ。 十分なパフォーマンスができているうちに解散したほうが 記憶にいい状態のまま残っているかもしれない。 「解散してもみんなにはうちの事務所に行ってほしいって思うのは私の思いよ。できれば、これからも一緒に仕事をしていきたい。これからの時代を作る後輩たちも入ってくると思うけど育成を一緒に手伝ってほしいとも思ってるわ」社長の思いに胸が打たれた。「解散するとして、あなたたちは何をしたいのか? ビジョンは見える?」質問されて全員頭をひねらせていた。
そして、その夜。仕事が終わって夜になり、COLORは事務所に集められた。大澤社長と各マネージャーも参加している。「今日みんなに集まってもらったのは、これからのあなたたちの未来について話し合おうかと思って」社長が口を開くと部屋の空気が重たくなっていった。「大樹が結婚して事務所にはいろんな意見の連絡が来たわ。もちろん祝福してくれる人もたくさんいたけれど、一部のファンは大きな怒りを抱えている。アイドルというのはそういう仕事なの」黒柳は壁側に座ってぼんやりと窓を見ている。一応は話を聞いていなさそうにも見えるが彼はこういう性格なのだ。赤坂はいつになく余裕のない表情をしていた。「成人もリュウジも好きな人ができて結婚したいって私に伝えてきたの。だからねそろそろあなたたちの将来を真剣に話し合わなければならないと思って今日は集まってもらったわ」マネージャーたちは、黙って聞いている。俺が結婚も認めてもらったということは、いつかはグループの将来を真剣に考えなければならない時が来るとは覚悟していた。時の流れは早いもので、気がつけば今日のような日がやってきていたのだ。 「今までは結婚を反対して禁止していたけれど、もうそうもいかないわよね。あなたたちは十分大人になった」事務所として大澤社長は理解があるほうだと思う。過去に俺の交際を大反対したのはまだまだ子供だったからだろう。どの道を進んでいけばいいのか。考えるけれど考えがまとまらなかった。しばらく俺たちは無言のままその場にいた。時計の針の音だけが静かに部屋の中に響いていた。「俺は解散するしかないと思ってる……」黒柳がぽつりと言った。
今日は、COLORとしての仕事ではなく、それぞれの現場で仕事をする日だ。 その車の中で池村マネージャーが俺に話しかけてきた。「実は映画監督をしてみないかって依頼があるのですが、どうですか? 興味はありますか?」今までに引き受けたことのない新しい仕事だった。「え? 俺にそんなオファーが来てるの?」驚いて 思わず 変な声が出てしまう。演技は数年前から少しずつ始めてい、てミュージカルに参加させてもらったことをきっかけに演技の仕事も楽しいと思うようになっていたのだ。まさか 映画監督のオファーをもらえるとは想像もしていなかった。「はい。プロモーションビデオの表情がすごくよかったと高く評価してくれたようですよ。ミュージカルも見てこの人には才能があると思ったと言ってくれました。ぜひ、お願いしたいとのことなんです。監督もしながら俳優もやるっていう感じで、かなり大変だと思うんですが……。内容は学園もので青春ミステリーみたいな感じなんですって。新人俳優のオーディションもやるそうで、そこにも審査員として参加してほしいと言われていますよ」タブレットで資料を見せられた。企画書に目を通すと難しそうだけど新たなのチャレンジをしてみたりと心が動かされたのだ。「やってみたい」「では早速仕事を受けておきます」池村マネージャーは早速メールで返事を書いているようだ。新しいことにチャレンジできるということはとてもありがたい。芸能関係の仕事をしていて次から次とやることを与えてもらえるのは当たり前じゃない。心から感謝したいと思った。
大樹side愛する人との平凡な毎日は、あまりにも最高すぎて、夢ではないかと思ってしまう。先日は、美羽との結婚パーティーをやっと開くことができた。美羽のウエディングドレス姿を見た時、本物の天使かと思った。美しくて柔らかい雰囲気で世界一美しい自分の妻だった。同時にこれからも彼女のことを命をかけて守っていかなければならないと感じている。紆余曲折あった俺たちだが、こうして幸せな日々を過ごせるのは心から感謝しなければならない。当たり前じゃないのだから。お腹にいる子供も順調に育っている。六月には生まれてくる予定だ。昨晩は性別もわかり、いよいよ父親になるのだなと覚悟が決まってきた気がする。女の子だった。はなの妹がこの世の中に誕生してくるのだ。子供の誕生は嬉しいが、どうしても生まれてくることができなかったはなへは、申し訳ない気持ちになる。母子共に健康で無事に生まれてくるように『はな』に手を合わせて祈った。手を合わせて振り返ると隣で一緒に手を合わせていた美羽と目が合う。「今日も忙しいの?」「うん。ちょっと遅くなってしまうかもしれないから無理しないで眠っていていいから」美羽は少し寂しそうな表情を浮かべた。「大くんに会いたいから起きていたいけど、お腹の子供に無理をかけたくないから、もしかしたら寝ているかもしれない」「あぁ。大事にして」俺は美羽のお腹を優しく撫でた。「じゃあ行ってくるから」「行ってらっしゃい」玄関先で甘いキスをした。結婚して妊娠しているというのにキスをするたびに彼女はいまだに恥ずかしそうな表情を浮かべるのだ。いつまでピュアなままなのだろうか。そんな美羽を愛おしく思って仕事に行きたくなくなってしまうが、彼女と子供のためにも一生懸命働いてこよう。「今度こそ行ってくるね」「気をつけて」外に出てマンションに行くと、迎えの車が来ていた。
少し眠くなってきたところで、玄関のドアが開く音が聞こえた。立ち上がって迎えに行こうとすればお腹が大きくなってきているので動きがゆっくりだ。ドアが開くと彼は近づいてきて私のことを抱きしめる。「先に寝ていてもよかったんだよ」「ううん。大くんに会いたかったの」素直に気持ちを伝えると頭を撫でてくれた。私のことを優しく抱きしめてくれる。そして、お供えコーナーで手を合わせてから、私は台所に行った。「給食食べる?」「あまり食欲ないから作ってくれたのなら朝に食べようかな」やはり夜遅くなると体重に気をつけているようであんまり食べない。この時間にケーキを出すのはどうかと思ったけれど、早く伝えたくて出すことにした。「ケーキ作ったの?」「うん……。赤ちゃんの性別がわかったから……」こんな夜中にやることじゃないかもしれないけど、これから生まれてくる子供のための思い出を作りたくて思わず作ってしまったのだ。迷惑だと思われてないか心配だったけど、大くんの顔を見るとにっこりと笑ってくれている。「そっか。ありがとう」嫌な表情を全くしないので安心した。ケーキをテーブルに置くと私は説明を始める。ケーキの上にパイナップルとイチゴを盛り付けてあった。「この中にフルーツが入ってるの。ケーキを切って中がパイナップルだったら男の子。イチゴだったら女の子。切ってみて」ナイフを手渡す。「わかった。ドキドキするね」そう言って彼はおそるおそる入刀する。「イチゴだ!」お腹の中にいる赤ちゃんの性別は女の子だったのだ。「楽しみだね。きっと可愛い子供が生まれてくるんだろうな」真夜中だというのに今日は特別だと言ってケーキを食べて、子供の話をしていた。その後、ソファーに並んで座った。大きくなってきたお腹を撫でてくれる。「元気に生まれてくるんだぞ」優しい顔でお腹に話しかけていた。その横顔を見るだけで私は幸せな気持ちになる。はなを妊娠した時、こんな幸福な時間がやってくるとは思わなかったのだ。「名前……どうしようかなって考えてるの」「そうだな」「はなにしようかなと思ったけれど……『はな』は『はな』なんだよ。お腹の中の赤ちゃんははなの代わりじゃない」大くんは納得したように頷いていた。「それはそうだよな」「画数とかも気になるしいい名前がないか考えてみるね」「ありがとう。俺
美羽side結婚パーティーを無事に終えることができ、私は心から安心していた。私と大くんが夫婦になったということをたくさんの人が祝ってくれたことが、嬉しくて ありがたくてたまらなかった 。しかし私が大くんと結婚したことで、傷ついてしまったファンがいるのも事実だ。アイドルとしては、芸能生活を続けていくのはかなり厳しいだろう。覚悟はしていたのに本当に私がそばにいていいのかと悩んでしまう時もある。そんな時は大きくなってきたお腹を撫でて、私と大くんが選んだ道は間違っていないと思うようにしていた。自分で自分を肯定しなければ気持ちがおかしくなってしまいそうになる。あまり落ち込まないようにしよう。大くんは、仕事が立て込んでいて帰ってくるのが遅いみたい。食事は、軽めのものを用意しておいた。入浴も終えてソファーで休んでいたが時計は二十三時。いつも帰りが遅いので平気。私と大くんは再会するまでの間、会えていない期間があった。これに比べると今は必ず帰ってくるので、幸せな状況だと感で胸がいっぱいだ。今日は産婦人科に行ってきて赤ちゃんの性別がはっきりわかったので、伝えようと思っている。手作りのケーキを作ってフルーツの中身で伝えるというささやかなイベントをしようと思った。でも仕事で疲れているところにそんなことをしたら迷惑かな。でも大事なことなので特別な時間にしたい。
「そんな簡単な問題じゃないと思う。もっと冷静になって考えなさい」強い口調で言われたので思わず大澤社長を睨んでしまう。すると大澤社長は呆れたように大きなため息をついた。「あなたの気の強さはわかるけど、落ち着いて考えないといけないのよ。大人なんだからね」「ああ、わかってる」「芸能人だから考えがずれているって思われたら、困るでしょう」本当に困った子というような感じでアルコールを流し込んでいる。社長にとっては俺たちはずっと子供のような存在なのかもしれない。大事に思ってくれているからこそ厳しい言葉をかけてくれているのだろう。「……メンバーで話し合いをしたいと思う。その上でどうするか決めていきたい」大澤社長は俺の真剣な言葉を聞いてじっと瞳を見つめてくる。「わかったわ。メンバーで話し合いをするまでに自分がこれからどうしていきたいか、自分に何ができるのかを考えてきなさい」「……ありがとうございます」俺はペコッと頭を下げた。「解散するにしても、ファンの皆さんが納得する形にしなければいけないのよ。ファンのおかげであなたたちはご飯を食べてこられたのだから。感謝を忘れてはいけないの」大澤社長の言葉が身にしみていた。彼女の言う通りだ。ファンがいたからこそ俺たちは成長しこうして食べていくことができた。音楽を聞いてくれている人たちに元気を届けたいと思いながら過ごしていたけれど、逆に俺たちが勇気や希望をもらえたりしてありがたい存在だった。そのファンたちを怒らせてしまう結果になるかもしれない。それでも俺は自分の人生を愛する人と過ごしていきたいと考えた。俺達COLORは、変わる時なのかもしれない……。
赤坂side「話って何?」俺は、結婚の許可を取るために、大澤社長と二人で完全個室制の居酒屋に来ていた。大澤社長が不思議そうな表情をして俺のことを見ている。COLORは一定のファンは獲得しているが、大樹が結婚したことで離れてしまった人々もいる。人気商売だから仕方がないことではあるが、俺は一人の人間としてあいつに幸せになってもらいたいと思った。それは俺も黒柳も同じこと。愛する人ができたら結婚したいと思うのは普通のことなのだ。しかし立て続けに言われてしまえば社長は頭を抱えてしまうかもしれない。でもいつまでも逃げてるわけにはいかないので俺は勇気を出して口を開いた。「……結婚したいと思っているんだ」「え?」「もう……今すぐにでも結婚したい」唐突に言うと大澤社長は困ったような表情をした。ビールを一口呑んで気持ちを落ち着かせているようにも見える。「大樹が結婚したばかりなのよ。全員が結婚してしまったらアイドルなんて続けていけないと思う」「わかってる」だからといっていつまでも久実を待たせておくわけにはいかないのだ。俺たちの仕事は応援してくれるファンがいて成り立つものであるけれど、何を差し置いても一人の女性を愛していきたいと思ってしまった。「解散したとするじゃない? そうしたらあなたたちはどうやって食べていくの? 好きな女性を守るためには仕事をしていかなきゃいけないのよ」「……」社長の言う通りだ。かなりの貯金はあるが、仕事は続けていかなければならない。俺に仕事がなければ久実の両親も心配するだろう。